信州に移住・転職したきっかけ
今から10数年前、まだ自分は20代の若者で世の中はバブル景気絶好調だった頃「長野県で働いてみなか?」と誘われた。転職の誘いを受けたのだ!
当時就いていた職業は、大型トラックのドライバーで愛知県豊田市を拠点に、西は大阪伊丹、東は横須賀までの自動車の組立工場や関連部品工場を往復する毎日だった。
収入はそこそこあったが、やはりキケンな職業には変わりなく、天候が悪い時や、深夜の高速道路の無法地帯ぶりには何度も危ないめに遭遇したし、居眠り運転(正確には居眠りしそうな)もたびたび・・・。
それまでに事故で入院した経験もあったので「そろそろ転職の潮時かな~」と考えていた頃に長野移住のお声がかかったのだ。 転職は考えていたのだが、移住ということまでは考えてはいなかったので少々戸惑いはあったが、転職してその道を進みきろうを決意をした時に、退路を断つことも必要なのかと考え、全てを一新して新しい土地でゼロからのスタートができるのも、今しかないと思い決断した。
俗に言うIターンだ。その実行者になろうとは思ってもいなかった。
特別に信州に憧れていたわけでもなく、山やスキーが好きどころか山登りもスキーもただの一度もやったことはない。「信州?野沢菜かぁ」ぐらいの知識しかなかったのだ。まぁあまり期待が無かった分ここまで挫折せずにやって来れたのかもしれない。
私が信州に移住したきっかけは、ただなんとなく・・・なのだ!
「一応愛知県とは隣の県だし、車で3時間弱、列車でも名古屋から2時間半ならそんなに遠くないしまぁいいや」と当時の自分らしくかなり軽く物事を考えており、軽い気持ちで引っ越してしまった。
世の中は平成になって3年目。ちょうど湾岸戦争で毎日のニュースが騒がしかった頃、私は長野県へとやって来た。
当時流行っていたもの
ドラマ:東京ラブストーリー
アニメ:ちびまるこちゃん
歌:B'z「太陽のKomachi Angel」「Easy Come, Easy Go!」「愛しい人よGood Night...」
追記:それまでの人生
社会人をスタートさせたのは京都にある某シティホテル
今では外資に買収されてしまったけれども、そこでは観光地で働くことの楽しさとホテルマンになれたという誇りでそれなりに充実していた。
難点は給料が安かったということぐらいだろうか。当時の趣味はバイクツーリングだったので、ローンで購入したバイクの代金などを捻出するために、配膳会なるものに所属して京都にあるよそのホテルでせっせとアルバイトをしていた。おかげで京都市内の主要ホテルの内部を知ることができたし、従業員食堂の美味しいホテルにも出入りができた。時にはそのホテルの寮に泊まらせてもらったこともあった・・・
とても楽しい時期だった。
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