移住を思い立って実際に行動に移せるのは、それ相応の時期があると思います。
移住ができる時というのは、生活をとりまく環境が自分一人だけの時が一番行動が起こしやすいのではないでしょうか。
そうなると、当然、独身の20才台くらいか、定年後(これは一人ではないかも)に行動することになります。
中には、夫婦そろって移住して来たとか、古民家に一家で移住して来たなどという話もありますが、連れ合いの方や一緒について来た家族が、どの程度信州での暮らしに馴染めるかに不安が残ります。
移住すればこれまでの人生では得られなかったことを体験することができますが、その反面、
こんなはずじゃなかった・・・
と感じることも多々あります。自分がそう思うのは移住を決断した自己責任なので仕方ありませんが、家族にまでそういった辛い思いをさせるのは躊躇するのが当然でしょう。
自分の場合は、20才代の時に移住を思い立ち行動に移しました。
プロローグには「ただなんとなく」と書いてありますが、実際に決断するまでに半年ほどかかりました。
愛知県と言えば全国一の製造業の県ですし、真面目に働いてさえいれば大企業の恩恵にあずかり、さほど生活に苦労することはありません。
物価も比較的安くて、いろいろなモノを手に入れるのにも困難なことはあまりないです。
一番迷ったのが、「地元には友人がたくさん居る」ということでした。みんなで集まって飲んだりすることが好きだったので、「これがなくなるとちょっと辛いなぁ」と思い、移住を決断するのに時間がかかったのです。
確かに「ただなんとなく」移住を考えたのですが、行った限りには戻ってくるつもりはありませんでした。
ので、退路は断ち切って移住を決断しました。
それまでは、自分自身以外のことでいろいろ責められたり、育った家庭環境のおかげで何かと苦労しました。 それだったら何にもないゼロからの土地で、自分だけの価値を見出してやろう!!と・・・
言葉は立派ですが、実際何度も「こんなはずじゃなかった・・・トホホ」
と嘆いたクチです。今では、結婚して子供も居るので、逆に「これから生まれ故郷に戻ってやり直しをする」という選択はできませんね。
移住した人生をよかったものにするのは、やはり自分次第でしょう。
自分の場合は、信州に来なければこんなに山を歩くことはなかったでしょうし、こんなに蕎麦を食べることもなかったと思います。何しろこんなに写真が好きになるとは思ってみませんでした。キレイに咲く高山植物に感動することもなかったと思います。
移住した人生と移住しなかった人生
2つの道を歩むことはできません。どちらを選んだにしてもよき人生にするのは、自分の考え方と授かった感動の多さだと思います。
信州に移住・転職したきっかけ
今から10数年前、まだ自分は20代の若者で世の中はバブル景気絶好調だった頃「長野県で働いてみなか?」と誘われた。転職の誘いを受けたのだ!
当時就いていた職業は、大型トラックのドライバーで愛知県豊田市を拠点に、西は大阪伊丹、東は横須賀までの自動車の組立工場や関連部品工場を往復する毎日だった。
収入はそこそこあったが、やはりキケンな職業には変わりなく、天候が悪い時や、深夜の高速道路の無法地帯ぶりには何度も危ないめに遭遇したし、居眠り運転(正確には居眠りしそうな
)もたびたび・・・。
それまでに事故で入院した経験もあったので「そろそろ転職の潮時かな〜」と考えていた頃に長野移住のお声がかかったのだ。 転職は考えていたのだが、移住ということまでは考えてはいなかったので少々戸惑いはあったが、転職してその道を進みきろうを決意をした時に、退路を断つことも必要なのかと考え、全てを一新して新しい土地でゼロからのスタートができるのも、今しかないと思い決断した。
俗に言うIターンだ。その実行者になろうとは思ってもいなかった。
特別に信州に憧れていたわけでもなく、山やスキーが好きどころか山登りもスキーもただの一度もやったことはない。「信州?野沢菜かぁ」ぐらいの知識しかなかったのだ。まぁあまり期待が無かった分ここまで挫折せずにやって来れたのかもしれない。
私が信州に移住したきっかけは、ただなんとなく・・・なのだ!
「一応愛知県とは隣の県だし、車で3時間弱、列車でも名古屋から2時間半ならそんなに遠くないしまぁいいや」と当時の自分らしくかなり軽く物事を考えており、軽い気持ちで引っ越してしまった。
世の中は平成になって3年目。ちょうど湾岸戦争で毎日のニュースが騒がしかった頃、私は長野県へとやって来た。
当時流行っていたもの
ドラマ:東京ラブストーリー
アニメ:ちびまるこちゃん
歌:B'z「太陽のKomachi Angel」「Easy Come, Easy Go!」「愛しい人よGood Night...」
追記:それまでの人生
社会人をスタートさせたのは京都にある某シティホテル
今では外資に買収されてしまったけれども、そこでは観光地で働くことの楽しさとホテルマンになれたという誇りでそれなりに充実していた。
難点は給料が安かったということぐらいだろうか。当時の趣味はバイクツーリングだったので、ローンで購入したバイクの代金などを捻出するために、配膳会なるものに所属して京都にあるよそのホテルでせっせとアルバイトをしていた。おかげで京都市内の主要ホテルの内部を知ることができたし、従業員食堂の美味しいホテルにも出入りができた。時にはそのホテルの寮に泊まらせてもらったこともあった・・・
とても楽しい時期だった。
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