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田舎暮しで経験した素晴らしい自然の景色を紹介したり、生活と文化の違いを感じたままにつづったブログです。最近はパワースポットにハマっていたりもします。長野行高速バスや長野新幹線、JR特急列車の情報も。井上真央おひさまロケ地、岳-ガク-小栗旬、神様のカルテ櫻井翔
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北アルプス

北安曇郡池田町の池田町立美術館は、アルプス展望美術館として展示の作品のみならず北アルプスの眺望も芸術として楽しめる高台にあります。

その敷地の一番上に『きけわだつみのこえ』に『所感』という手記を残した故上原良司氏の記念碑があります。

きけわだつみの声

手記を残した上原良司氏が池田町の出身だったことからここに記念碑が置かれたそうです。
石に刻まれた「わだつみのこえ」を読むと胸にこみ上げてくるものがあります。

北アルプスの望めるこの地で安らかに眠ってほしいですね。

きけわだつみのこえ

きけわだつみのこえ 所感

栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。 思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、 これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。自由の勝利は明白な事だと思います。 人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、 底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、 かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。 我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。 ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、 今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。 自己の信念の正しかった事、この事あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。 現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。 既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。 真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。 世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。 操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。 理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。 精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。 一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです。


こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。 ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。

飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。 愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。 天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。 過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。 何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で

上原良司

上原良司
長野県北安曇郡七貴村(現・池田町)出身。

松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業後、慶應義塾大学予科を経て、1942年慶應義塾大学経済学部入学。翌年、学生徴兵猶予停止により歩兵第50連隊入隊。特別操縦見習士官第2期生として熊谷陸軍飛行学校入校。館林教育隊にて操縦訓練を開始し、1944年熊谷陸軍飛行学校卒業。

1945年5月11日陸軍特別攻撃隊第56振武隊隊員として三式戦闘機「飛燕」に搭乗、沖縄県嘉手納の米国機動部隊に突入し戦死。享年22。

戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)では「所感」という題名の遺書が巻頭に掲載されている。この文章は多くの人々の胸に響き、映画「きけ わだつみのこえ」やドキュメンタリー番組でも特集されるなど戦没学生の手記の代表格とされ度々取り上げられている。

2006年10月22日、池田町に彼の記念碑が建立された。

若干22歳の青年にここまでの覚悟をさせてしまった罪は大きいです。

学業を志半ばであきらめ戦地で散っていった若い命。当時はそれが賛美されたという狂った時代でした。自分の22歳の頃は何を思って生きていたのだろうと振り返ると、お国のためにと命を落として行った若者たちへは申し訳ない気持ちになります。『きけわだつみのこえ』の映画はもちろん見ましたが、戦闘機で特攻する若者が長野県出身の上原良司さんだということは知りませんでした。この石碑のことも最近知ったところです。

こんな狂気の時代を繰り返さぬようにせねばなりませんね。

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