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田舎暮しで経験した素晴らしい自然の景色を紹介したり、生活と文化の違いを感じたままにつづったブログです。最近はパワースポットにハマっていたりもします。長野行高速バスや長野新幹線、JR特急列車の情報も。井上真央おひさまロケ地、岳-ガク-小栗旬、神様のカルテ櫻井翔
分杭峠へと通じる国道152号線の美和ダムの少し手前の左側にちょっとした駐車スペースがあり、そこに観光マップが建てられています。

そのすぐ先にいつも気になっていた絵島公園という看板。

絵島公園

絵島とは大奥で知られた絵島です。

大奥での絵島生島事件はドラマなどでよくご存知かと思いますが、事件後に絵島がどうなったのかは知る人も少ないのではないでしょうか?

絵島は信州高遠藩へお預けとなり、狭く囲われたお屋敷から一歩も出ることを許されず、27年間の閑居生活の後亡くなったそうです。

分杭峠への往復だけではつまらないので、ちょっと史跡めぐりでもしようと、絵島の囲み屋敷へと行ってみることにした。

案内板の脇の階段を登って行きます。

絵島の囲み屋敷

階段を登りきったところは、それっぽい武家屋敷の通路という雰囲気です。

絵島の囲み屋敷

この通路を歩いて行くと、現存とまではいかないまでも復元されたお屋敷が建っているかと思いきや・・・


何と



絵島の囲み屋敷

ポツンと東屋と石碑があるだけです・・・

これじゃあ絵島さんも淋しいです・・・

絵島の囲い屋敷

この石碑もひっそりとして佇んでいます。

絵島の囲い屋敷

絵島の囲い屋敷の由来を刻んだ碑。これも読みづらくなっています。


これではわかりづらいので絵島生島事件のあらまし↓↓↓

正徳4年1月12日(1714年2月26日)、江戸城大奥の御年寄・江島は仕えている月光院の名代として前将軍・家宣の墓参りのため、宮路らと共に寛永寺、増上寺へ参詣。その帰途に懇意にしていた呉服商・後藤縫殿助の誘いで木挽町(現在の東京都中央区東銀座界隈。歌舞伎座周辺)の芝居小屋・山村座にて生島の芝居を見た。芝居の後、江島は生島らを茶屋に招いて宴会を開いたが、宴会に夢中になり大奥の門限に遅れてしまった。大奥七ツ口の前で通せ、通さぬの押し問答をしている内にこの事が江戸城中に知れわたる事になり、評定所が審理することになった。

当時の大奥には、現将軍・家継の生母・月光院を中心とする勢力と前将軍・家宣の正室・天英院を中心とする勢力とがあった。月光院が家継の学問の師である新井白石や側用人の間部詮房らと親しい事から、大奥では月光院側が優勢であった。この事件は天英院側にとって、勢力を挽回するための絶好の機会であった。天英院は家宣・家継の元で幕政を牛耳っていた新井白石・間部詮房を追い落とすため、譜代大名(関ヶ原の戦い以前からの徳川氏の家臣)や5代将軍・綱吉時代からの老中達とこの事件を画策したという説がある。

評定所によって関係者が徹底的に調べられ、それにより大奥の規律の緩みが次々と明らかにされた。江島は生島との密会を疑われ、評定所から下された裁決は死一等を減じての遠島(島流し)。連座して、旗本であった江島の兄の白井平右衛門は武士の礼に則った切腹ではなく斬首、同弟は重追放となった。月光院の嘆願により、江島についてはさらに罪一等を減じて高遠藩お預けとなったが、事実上の流罪であった。江島の遊興相手とされた生島は三宅島への遠島、山村座の座元も伊豆大島への遠島となって、山村座は廃座。この巻き添えを食う形で江戸中にあった芝居小屋は簡素な造りへ改築を命ぜられ、夕刻の営業も禁止された。このほか、取り巻きとして利権を被っていた大奥御殿医の奥山交竹院とその弟の水戸藩士、幕府呉服師の後藤とその手代、さらには材木商らも遠島や追放の処分を受けるなど、大奥の風紀粛正のために多数の連座者が出された。最終的に1500名余の人々が罰せられたと言われている。

この事件により天英院側が優勢となり、2年後の正徳6年(1716年)に家継が亡くなると、天英院が推していた(月光院が推していたとする説もある)紀州の徳川吉宗が次の将軍となった。そのため、この事件が将軍決定を巡る謀略との見方もあるが、幕府を牛耳っていた白石・詮房を追放するために天英院と譜代大名や老中がスキャンダルをでっち上げたという説もある。


天下太平の世に起こった権力争いに絵島は巻き込まれてしまったのですね。

信州


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コメント
この記事へのコメント
人の夢の跡は『儚い』ですね。
2009/10/06(火) 19:16 | URL | けん #-[ 編集]
シオン
高遠って、あの桜で有名な高遠ですよね。
こんな、ところもあったのですね。
2009/10/06(火) 22:09 | URL | シオン #-[ 編集]
コメントありがとうございました
けんさん
絵島の刑が「陥れたもの」だったとしたらとっても悲しいですね。
真実はわかりませんが、20数年も閉じ込められてさぞや辛かったことだと思います。

シオンさん
桜で有名な高遠城址から5分程度のところにあります。
ひっそりとしています。
囲み屋敷の名のとおりだと思います。
2009/10/09(金) 00:24 | URL | 松本支配人 #.CQMmxNc[ 編集]
 はじめまして、「人を笑わず人と笑う」の八角(やすみ)と言います。絵島の記事読みました。落語でも取り上げられている事件です。詳しい事件の裏側を知りませんでしたので、面白く読ませていただきました。ありがとうございました。またお邪魔いたします。よろしくお願いします。
2009/10/19(月) 15:47 | URL | 八角 #-[ 編集]
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